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愛媛の韓国人の歴史

明治から昭和20年まで

 

1999年

作成*松原満紀

        

はじめに

 

 先に『別子銅山で朴順ト童が死んだ』の付録として、愛媛の韓国人の歴史年表をつけましたが、戦時動員に関係する事項にとどめましたので、気にかかっていました。

 最近『資料愛媛労働運動史』(全8巻のうち第1巻を除く7巻)を入手しましたので、改めて韓国人関係の項目を拾い出して見ました。欠けている第1巻の記事は県立図書館所蔵本で補いました。

 この年表は、『住友別子銅山で朴順童が死んだ』の付録年表と『資料愛媛労働運動史』から拾い出した項目およびその他資料を会わせて作っています。

 『資料愛媛労働運動史』は、本当に労作でありがたい資料ですが、労働史という観点で新聞記事など原資料を要約・抄出していますから、韓国人史という観点から原資料にあたってみる必要がありそうです。また、誤植と思われる部分も見当たりますので、これの確認も必要です。

 それ以外にも、「運動史」が使用した資料から漏れた記事を探すこと、「運動史」に使われていない他の資料を調べることなどが必要だと思いますが、それはまた先の機会にして、とりあえずまとめておきたいと思います。

 なお、『資料愛媛労働運動史』所載資料以外の資料には、*マークをつけておきました。

 

 

 

                    1999年6月6日

                     松 原 満 紀

 

 

資料愛媛労働運動史 巻1(慶応〜明治40)からの抜粋

 

愛媛新報 明治38年11月7日付  

     今治の阿部合名会社が韓国へ出張所を設け、織物を販売する由はかつて記載せ 

    しが、会社の役員阿部光之助氏は諸般の設備をなす為此程渡韓久しく滞在の筈。

愛媛新報 明治38年11月10日付

     韓国における綿糸布貿易其の実情を取り調べ近頃帰来したる某当業者の談に曰。

愛媛新報 明治39年1月27日

     今治・阿部会社の阿部光之助、朝鮮・満州視察より帰る。

愛媛新報 明治39年12月11日

     今治綿ネル同業組合、朝鮮・満州に共同販売店を設置することを決定。

愛媛新報 明治39年12月22日

     宇和島町の枡田織工場にては、従来多額の紺・織色等の専ら無地木綿を製造し 

     九州・畿内・東京・北海道・朝鮮等へ輸出し頗る好評を博しつつあり。

愛媛新報 明治40年5月18日

     (伊予ネルは)新領土樺太は勿論清韓両国に発展の余地少からざれば…

 

 

資料愛媛労働運動史(巻2) 明治41年〜大正7年抜粋

 

愛媛新報 明治41年3月6日付

    (3月上旬)西宇和郡真網代の愛媛製網会社、販路拡張のため〜韓国・関東州・ 樺

     太に社員派遣

愛媛新報 明治41年3月27日付

     満韓輸出向けの木綿は目下非常の不景気生にて引き合わざるをもって〜等分  

     は内地向け…

愛媛新報 明治43年8月26日付

     「日韓合併は我邦建国以来の一大事業にして国民の大いに歓迎すべき事柄たり。 

     即ち松山三新聞社の主催に依り二四日午後八時より松山公会堂において有志協議会を

開き祝賀の方法に付き協議せし所、左の方法に依り盛んに祝賀することに決したえり。

1、合併宣言発表の上は市内各戸に国旗と軒提灯を掲ぐること。

1、合併宣言発表の上は三新聞社発起者となり場内または城北錬兵場において一大祝賀 

  会を開催すること。

1、右祝賀会の当日をもって提灯行列を催す事。

 ………以下略………

 

愛媛新報 明治43年9月30日付

     政府、韓国併合にともなう国内思想の統制を行うため、社会主義・無政府主義・

     自然主義を取り締まる方針。学校教育・社会教育も統制。

 

愛媛新報 大正4年6月18日付

     「〜本県の名産として朝鮮・支那並南洋方面に名声を博せる砥部焼きは〜」

愛媛新報 大正6年10月12日付

     県下の朝鮮人約100人。そのうち越智郡47人。職業は造船職工・坑夫・鉄道

     工夫・人力車夫・丁稚・飴売り・人参売り。

海南新聞 大正7年8月29日付

     (米価暴騰に関連して知事からの訓令第31号)

     〜更に朝鮮米及外国米等の輸入によりその供給を潤沢にし〜  

 

資料愛媛労働運動史(巻3) 大正8年〜大正11年抜粋

 

愛媛新報 大正8年5月6日付

     喜多郡天神村の井口製紙工場〜販路は内地・朝鮮・台湾。

愛媛新報 大正9年6月28日付

     伊予郡松前の婦人、缶詰・伊予絣・砥部焼の行商で全国に出稼ぎ。台湾・朝鮮・

     満州.・シベリアまで行商。

愛媛新報 大正9年9月14日付

     松山在住の朝鮮人労働者13人、そのうち伊予綿ネル会社職工4人・農業労働

     者2人・日雇7人。当局“不逞鮮人”の松山入りこみを警戒。

愛媛新報 大正9年12月14日付

     〜別子銅山の労働者を県別にしてみると、愛媛の1088名を筆頭に、高知の

     191名、徳島の187名、香川の133名でやはり四国が多く、次は広島5

     2名、岡山31名、朝鮮15名、宮崎10名、大分・山口が各5名〜

愛媛新報 大正10年6月4日付

     喜多郡内子町出身の藤本春太郎(36)、神戸市須磨町和田信義(30)、同人     

     方止宿朝鮮人崔正守(26)兵庫県湊町吉田耕三郎(34)松山の招魂祭に万

     年筆の行商をしながら社会主義の宣伝に入りこむ。別府で逮捕。

  

愛媛新報 大正10年7月16日付

     別子鉱業所の解雇者960人のうち其の出身地は大阪府以外22県と北海道・朝鮮

     等で、本県の者は男723名…

愛媛新報 大正11年5月15日付

     喜多郡内子地方の製紙工女(17歳と20歳)が製材所大洲村の製剤所職工の朝鮮 

     人と称する男(30歳)他に売春。

 

愛媛新報 大正11年7月12日付

     松前の女性が女4、5人と男子1人で団体を組んで県外へ干魚や缶詰等の行商 

     に出かける。行商先は北陸から北海道が主で西は朝鮮・満州・台湾までも行って

     いる。一回40日から60日が普通。

 

愛媛新報 大正11年10月16日付

     松山市職業紹介所の第3期(7,8,9)三ヶ月の事業成績。求職者の県別は

     福島・徳島・朝鮮・愛媛等。

 

 

資料愛媛労働運動史(巻4) 大正12年〜14年抜粋

 

愛媛新報 大正12年1月16日付

     本県の朝鮮出漁者1200人のうち、800人失業。

 

愛媛新報 大正12年5月1日付

     松山市での本県最初のメーデーは警察の干渉によって中止さされた。(メーデ  

     ーのスローガンの中に「植民地の解放」があった。)

 

 

 

愛媛新報 大正12年9月7日付

     愛媛師範学校教諭幸野岩雄東京大震災にあい、この日松山に帰り、“朝鮮人暴

     動”の恐怖について語る。

愛媛新報 大正12年9月8日付

     松山高等学校生徒間室亜夫が夏休みで帰省していたが“朝鮮人暴動”について

     語る。

愛媛新報 大正12年9月8日付

     高橋福円寺住職“朝鮮人暴動”など語る。菅庄太郎も。

愛媛新報 大正12年9月9日付

     県警警察部長“朝鮮人暴動”は全くのデマであるから、帰郷者の談話や流言を

     謹むことを、八日付で県下各警察署に通牒。

 

愛媛新報 大正1299日付

     松山地方でも災害勃発以来朝鮮人は姿を消していたが、8日頃から朝鮮の

     飴売行商がぼつぼつ姿を現し出した。

 

愛媛新報 大正13628日付

     温泉郡浅海村に国鉄工事をみこして朝鮮人労働者約50人集まる。警察“危険鮮

     人“を警戒。

 

*別子顛末 大正13年8月20日

     住友別子鉱山は、結成された労働組合の「不良分子」(注、労働組合の中核活動

     家のこと)13名を解雇。そのなかに韓国人で東平の金又九がいた。

 

 

大会決定 大正131115日付(別子労働組合端出場第ニ支部会員大会決定事項)

     支部役員三区選出(本村方面)の幹事に朴東俊の名がある。 

 

愛媛新報 大正141月24日付

     今治における総同盟支部発会並に演説会を22日より旭館にて開催。会衆30

     0名。警部が臨席。因島の金氏は日本の人口の9割を占める労働者が目覚めた 

     時は国家の恩恵を得るだろうと演説。()金氏とは金光平のこと。

 

愛媛新報 大正141月24日付

     愛媛県在住朝鮮人労働者365人(男331人、女34人)。そのうち土木工夫

     その他人夫239人、織物28人、鉱業25人、紡績24人、製壜19人、塩

     田13人、生糸6人、鉄工4人、石粉3人、製紙1人、紙製品1人、菓子1人、

     印刷1人、。1日平均賃金、男は最低50銭〜最高2円50銭(鉱業)、女は最

     低40銭〜最高1円30銭(紡績)。自炊生活をする者が多い。

      彼等は敏活を欠き能率は上がらないが素行は大体善良、生活状態は中以下だ

     が中に貯蓄をして故郷に送金している者もある。工場労働者は概して安定して

     いるが、土木労働者には賃金を酒食に使い果たして転々と流浪している者もあ

     る。

愛媛新報 大正14年2月2日〜3日付

     国鉄が松山までなかなか開通しない。大井・菊間間も大正14年度に繰り越さ

     れが、大井・菊間間にいる工夫は仕事を終わって越智郡から温泉郡に移ろうとし

     ている。浅海には鮮人工夫の飯場もあり、工事をやっている西村組の事務所も  

     出来ている。線路は北条の町外れまで出来ている。大井から北条までは煩いほ

     どトンネルがある。

      国鉄が開通するに就いては日本内地の労働者よりは大部分朝鮮人が働いてい

     るのだ。彼の労働者が安い労銀で長い時間労働しておれればこそ出来るのであ

     る。国鉄が松山へ来るのも朝鮮人労働者のおかげであると言って過言ではない

     のだ。       

      鮮人労働者は波止浜に国鉄が出来た時からきていて、1時は400名もいた。 

     今は、越智郡菊間の飯場に約60人、温泉郡浅海の飯場に約200人。

     近年朝鮮は稀有の旱魃であったため職を求めて内地に渡ってきたのである。昨

     年の九月から十二月に今治へ来た朝鮮人労働者は290人、その大部分は鉄道

     工夫として鉄道へ送った。鉄道工夫が過剰のため東宇和郡惣川村の道路工夫に

     行った者もある。

       朝鮮人鉄道工夫の賃金1日1円50銭(日本人工夫は1円60銭〜1円7

       0銭)、12時間労働(午前6時〜午後6時、休憩昼食時30分と30分)。

       飯場の食費1日60銭(4食)・部屋代1日5銭。請負業者(西村組)が飯

       場頭に人夫1人当り5銭ずつを補助。昨年負傷して不具者になった朝鮮人

       工夫が三名いた。負傷の場合は、請負業者が治療費を負担するが、あとの

       の生活の保証はしない。

        鮮人は怠惰な人間のように言われているがなかなか勤勉で団結心に富み

       相互扶助もしている。菊間町には鮮人の経営する旅館がある(下宿してい

       た朝鮮人と娘が一緒になった)旅館に来た鮮人を其の主人が無料で泊まら

       せるので困っている。

愛媛新報 大正1423日付

        鉄道工事の進捗とともに三津浜管内に移動してくる鮮人工夫は目下温泉

       郡灘波村に最も多く、約200名が土方稼をしている。この他浅海・北条

       に若干の労働者がいる。山口県方面から不景気の為入りこんだものと直接

       朝鮮人から通信で稼ぎに来たのとがある。近頃ぼつぼつ朝鮮に帰るものが

       あるという。

 

       年齢は20歳以上で独身者が大半を占め、14、5人の女房子供づれが降 

       り、これらは工夫の中の頭連中で10〜20人の土方を指揮している。

       日本語を解するものもあるが思想方面には全く幼稚で不良分子などあまり

       いない様子。素行もまず善良である。

住友別子鉱山労働運動の顛末

     大正14年3月23日

       端出場・立川の労働者121人、共励会を設立し立川倶楽部で発会式。鷲尾

       労働課長出席し講話。

        共励会の役員に道上幹事として朴東俊の名がある。

愛媛新報 大正14年7月18日付

       [投書] 今治市と鮮人問題 金子太郎

     (ニ)同胞が今治は工業地で今治へ行けば生活出来ると今治へ今治へとやって

       きているが、今では今治の会社工場は血も涙もない土方部屋だと聞いた。

       調べて見ると聞いたほどではないが、極端ではないがわが民族を排斥して

       いる。其の理由は、@言語が通じないA研究心がないB不平が起こりやす

       いことらしい。@はやむをえないし、Aは人による、Bは排斥の意味にな

       らない。わが民族ほど世界で妥協性のある民族はない。

        市内数10人の鮮人は職がなく生活に苦しんでいる。このようなことは

       日鮮融和の大障害となる。国家的見地から反省を。

(三)       今治警察署と鮮人問題

〜警察が朝鮮人の生活安定のため努力し、多くの朝鮮人が其のおかげで職 

 を得ていることへの感謝〜 

        「同一国家内の臣民が彼れは鮮人だ彼れは日本人だというような差別的

         言語を弄さずモ―少し愛の言語で愛の態度で愛は総てを恵む事に心づ

         かれたい。」

【高等警察概況】

一、朝鮮人

二.施設改善

 4、職業紹介

   鮮人失業者の徘徊が在住朝鮮人の思想上はたまた治安上に及ぼす悪影響

   至大なるものありと認め、専務巡査をして彼等の行動を内偵するととも

   に、真に同情すべき失業者にたいしては市職業紹介所と連絡協議し、職

   業の紹介に努めつつある、

金光平談話筆記

     86日今治市旭座において今治労働総同盟と今治労働組合の共同主催で労働問

        題大演説会を開く。因島労働組合金光平が宣伝ビラを書いて流す。

    金光平は中四連合会主事        

 

愛媛新報 大正14830日付

      26日午後7時から、東京同愛会主催、伊予日々新聞後援の社会問題講演会が

      大街道新栄座で開催。日大教授中村至道の「水平社に謝罪せよ」という講演

      が2830日に分割掲載されている。

    そのなかで「桓武天皇の母君もその通り朝鮮の浮浪者の子孫である。取りも直さず、

      天皇陛下のご先祖もエタであった」

      「日支親善も日鮮人の融和も、チャンコロチャンコロといっている間はとて

      も融和出来ない」など述べる。

愛媛新報 大正14918日付

      松山市内物価昂騰本日15日現在

       大豆朝鮮 価格一升23銭 昂騰

愛媛新報 14年10月31日付

       「別子銅山瞥見」(12)白石吟月

     坑内で働いている者1600人中其の約半数は矢張り付近の者で残り半数が県

     外人である。県外では徳島・高知が一等多く広島や香川がこれに次いでいる。鮮

     人も以前には4、50人も居たのであったが現在では約20人で多くは妻帯し 

     ている。

愛媛新報 14年11月12日付

      去る10日の正午頃別子労働組合長山内鉄吉氏帰阪見送りのため新居浜駅に

      来ていた組合員5名と角野署巡査が衝突、朝鮮人金鶴東は検束された。

 

愛媛新報 14年11月17日付

      15日午後6時から今治座で出獄記念労働演説会が開催。

      主催は今治労働組合。昨年5月大阪鉄工所因島工場での労働争議の際、治安

      維持法により尾道刑務所へ投獄されていた同工場の職工12名のうちこの1

      4日出獄した労働組合中四連合会総務部田中長作氏他4名のために開いたも

      の。当日の弁士は中四連合会長主事金光平ほか6名。

 

愛媛労働運動史第5(大正14121日から)

 

愛媛新報 大正14124

     今治に在住する朝鮮人はその数225名ある。今治市中のみでも130名の朝鮮人  

     がいるがその3分の2は紡績女工で、無職のものはわずか5,6名に過ぎない。                  

     警察でも就職のことに関してはいろいろ骨をおっている。鮮人は非常によく働  

     く上従順で不良分子は殆ど皆無である。今治署の友沢巡査はは以前朝鮮で巡査

     部長をしていたことがあり、今は鮮人の指導に非常に力をいれ彼らのために貯

     蓄組合を作っている。毎日50銭貯蓄し現在は約400円。また松友巡査も朝鮮人

     のために日本語の教授等をしている。

 

『高等書察状況』

   朝鮮人および外国人

1、朝鮮人()

2、国語普及    風俗言語の相異が彼らの生活不安を来すと且つ内鮮人両者の

          間における不円満を醸す原因たるの事例に徴し、国語の普及  

          するの必要に直面したる以て、内地在住朝鮮人中、国語に通

          ぜざる25名の労働者にたいして(国語をおしえた)

  3、勤倹貯蓄心のかん用

           「彼等は個性的に遊怠徒食の習慣ありて」(大正14年貯金組合

            を設け)

  4、大正14年末極貧者に対して金品を恵与

 

大正141214

 

   別子争議団編成、その中に「金光平(因島)」がいた。

 

『住友別子鉱山労働運動の顛末』

  大正141220日  東平では約30名のものが第三採鉱課上に集合、金鶴東は

              演説をしようとするが,直ちに中止を命ぜられやがて下山。

 

愛媛新報 大正141227日付

     20日現在の今治市内の物価(今治商工会調査)では、小豆(朝鮮)高騰、1斗が

     270

 

『住友別子鉱山労働運動の顛末』

  大正141225日  午後1時組合本部で第6回の演説会を開催。弁士に角野の

              金鶴東ほか、参加者約250名。

 

*別子顛末 大正14年12月27日

      別子鉱山は「性向最も不良なる者71名解雇」その中に端出場の慶尚南道

      陜川郡伽面出身の金鶴東(独身)と同梁山郡上西面出身の金義郷(妻帯者)

      がいた。(注、性向不良なる者とは労働組合の指導層)      

 

『県政引継書』  この年、伊予郡の出稼者367(福岡の炭鉱夫249人、山口県の船員・

         炭鉱夫37人大阪府の店員・職工36人、東京府の店員・職工16人、   

         岡山県の職工15人、長崎県の炭鉱夫・店員7人、朝鮮の会社雇員5

         人、北海道の会社雇員2)

 

『住友別子鉱山労働運動の顛末』

    大正1517日  解雇者金義郷退山。

 

『住友別子鉱山労働運動の顛末』

   大正15111日 応援者の中に因島労働組合の金光平の名がある。

 

『住友別子鉱山労働運動の顛末』

   大正1519日  東平病院に再診を求めてきた者の中に金鶴東の名がある。

 

『住友別子鉱山労働運動の顛末』

   大正15115日  第7回演説会開催。参加者約130名。金光平は、「鉱業

              所は改善会を利用して、退山を勧めている。愛媛新聞を

              買収して虚偽を書かせている」などと演説。

 

『住友別子鉱山労働運動の顛末』

   大正15120日  1227目に解雇された金鶴東も給与金を受け取り退山

              することに決定。

 

『住友別子鉱山労働運動の顛末』

              大正15122日金鶴東退山帰郷。

 

愛媛新報 大正1531日付

     2月末現在の今治市内の物価(今治商工会調査)では、小豆(朝鮮)下落、一斗が

     210

 

大衆時代 大正1541日付

     松山の某中学校、朝鮮人の入学を拒否、思想問題のためという。

 

大衆時代 大正15611日付

     温泉郡三内村で朝鮮人労働者6人、解雇に反対して暴行。

 

愛媛新報 大正1575日付

     今治管内の朝鮮人は225名、市内に居住するもの130人。その3分に2は女   

     工。職のないものは5,6名。従順で仕事に精を出し、土工は日給2円、工場で

     働くものは130銭。友沢巡査は朝鮮で巡査部長を勤めていたので貯蓄組合、

     日本語指導などをしている。

 

大衆時代 大正15721日付

     今治は本県でも朝鮮人が多く居住し、警察に鮮人係の専任巡査がいるくらい

     だ。今治紡績があるころは、200人くらいが働いていた。待遇も内地人と同じ

     位だった。ところが今治紡績が大阪合同紡績に買収されてからは同紡績の支

     店長が方針を変更。「労賃を2,3割も減額し、出ていけがしの態度」。今では

     30人に足りないくらいに減っている。警察の鮮人係は、目鮮融和の精神に反

     するとして会社の反省を促す考え。

      鮮人も組合をつくり京阪地方の組合と手を引いて資本家と対抗しょうとい

     う計画もある模様。

 

資料愛媛労働運動史 第六巻(大正15年〜昭和3年)

 

『高等警察概況』大正15年12月31日

    朝鮮人及外国人

1、朝鮮人

(イ)朝鮮人の数 昭和元年末現在 今治管内在住朝鮮人は男106名、

   女70名、計230名(まま)前年同期に比べ、男77名、女12名

   計89名の増加。

(ロ)生活の状況 一、二の有識者を除く大多数は主として無知頑迷の労働者  

   でややもすれば眼前の利益に迷い職業が一定しない。常に失業と生活不

   安がある。

(ハ)思想の傾向 一、ニの不良徒輩は内地人主義者をまねて自由平等人種差   

   別撤廃を暗に高調しているが一般の鮮人は思想穏健で同化主義を尊重し

   内地人をも親交がある。

(ニ)施設改善 (1)敬神思想の養成 一般鮮人は民族的因襲により敬神の  

    念が皆無である。そこでかれらの精神の緊張と人格の向上のため「各  

   戸にたいし国旗の共同購入をなし祝祭日等にこれを掲揚せしめ、且つ神

   社参拝を奨励し敬神の念を喚起しつつあり。」李王殿下の死去と先帝陛下

   の重篤にさいして吹揚神社で祈願と遥拝式。 

   (2)国語普及  ()勤倹貯蓄心の涵養 (4)職業紹介 

   (5)貧民救済

朝鮮人移動状態調(大正元年1月〜昭和2年5月)

   来着者 男895 女184 計1079

   所轄外転住者及所在不明者 男753 女12 計864

昭和2年5月末日現在 男142 女73 計215

 

 現在朝鮮人職業別一覧表

新聞記者1   学校生徒7   船員4      船夫5

店員 14   紡績職工13  織物職工32   牛乳搾取人夫1

自転車職工1  製氷職工2   製飴業1     洋服職工1

西洋洗濯職4  香具師3    飴行商15    原石運搬夫27

料理人2    農業7     日稼20     土方6

無職49            計215 

 

 大衆時代 昭和2年3月11日付

      今治市内には鮮人は使用しないという工場もあって不況の今日、鮮人の生活

      は悲惨を極めている。鮮人有志が発起人となって2月27日今治第3小学校

      で内鮮融和懇談会を開催。鮮人社会の裏面に悲惨な生活があることを訴えた。

 

 平民   昭和2年4月15日付

      結成予定の南予平民党綱領に「植民地における差別の撤廃」がある。

 

 大衆時代 昭和2年5月1日付

      無産青年同盟愛媛県連合会が4月22日小松で結成。小松駅前トキワ館。

      祝電祝詞のなかに東京の朝鮮労働組合がある。

 

 大衆時代 昭和2年6月11日付

      6月4日、松山歩兵第22連隊営庭の射撃場工事に従事していた鮮人土工

      五十余名は突如仕事を中止、協議の上ストライキを断行。請け負い業者の賃  

      金不払いが原因。鮮人は松山、今治に多く来ているが其の大部分は土木工事  

      に従事している自由労働者である。朝鮮人は、母国で生活できないため、日

      本内地にこようとすると朝鮮労働者渡船禁止で禁止され、内地に来ても言語

      は通じず民族的な蔑視差別を受け官憲から危険人物扱いをされる。本県に散

      在する朝鮮人労働者はまず団結して組合をつくり、在日本朝鮮総同盟に盟  

      し日本の無産団体と手を携えた解放運動をすべきだ。

 

 大衆時代 昭和2年7月11日付

      松山市築山町の八塚織布会社は6月20日ころから漸次仕事を与えない。一

      門の金も出さずに解雇する計画。

      松山合同労働組合の調査によると「鮮人職工は初め2・3ヶ月位無賃で使用、     

     常にちょうちゃくして使う。」「午前5時から午後10時まで17時間労働をし

     ても休憩時間を与えず、食事の休憩もなし。」ほか非人道的な暴挙が判明。

 

 大衆時代 昭和2年7月21日、8・1、8・11、8・21、10・11、

      11・11、愛媛新報7・17日付

      林田哲雄が万歳事件の偽証のかどで7月15日に西条刑務所に収容される。

      

 松山合同労働組合の昭和2年9月19日付ビラ

      「女工虐待反対週間宣伝ビラ」要求の20に「朝鮮女工の虐待反対云々」が

       ある。

 

 愛媛新報 昭和31月2日付

      松山職業紹介所昨年中の求職総数は1723名。これら求職者の原籍別をみると

      朝鮮人12名がある。

 

 大衆時代 昭和3121日付

      労働農民党本県支部連合会は111日の第2回執行委員会において総選挙対

      策を決定。そのなかに「植民地民族の差別撤廃」「帝国主義戦争反対」がある。

 

 大衆時代 昭和321日付

      松山の無産青年同盟本県準備会が115日から21日まで反軍国主義週間と

      してポスターやビラで宣伝。「満蒙侵略政策反対」「侵略国際戦争反対」ほか。

 

 資料愛媛労働運動史 第七巻 (昭和3年〜5年)

 

 平民   昭和3年3月1日付

      日本労農党の「徹底普選獲得運動」についての決意を掲載。そのなかに「植

      民地における普選の即時実施」がある。

 

愛媛県報 昭和3年5月4日

      県学務部長が各支庁長・市町村長に通牒して、中央融和事業協会の助成する  

      未解放部落民の海外移住奨励について希望を募ることを指示。

      移住先は北海道、樺太、朝鮮、台湾、満州、蒙古、南米。助成金一家族につ

      き150円。

 

 大衆時代 昭和3521日付

      八幡浜血戦記 堀川一知のなかに「合法的に言えば憲法第何ヶ条かによって

      保証さえれた帝国人民―――朝鮮人・台湾人のことは知らんぞ―――の言論 

      の自由を八幡浜署――県警本部――政府――大ブルジョワジー――は完全

      に粉砕してしまったのである」という部分がある。

     ()この文章は5月8日八幡浜で開催予定の演説会が官憲の妨害で開催不能にな

      った事件の報告。無産新党組織準備会八幡浜支部の主催。

 

 大衆時代 昭和3年5月21日付

      「松山地方にも昨今朝鮮人がたくさん入り込んで土木工事その他の仕事をし

      ている。この鮮人の思想を善導するのだといって、なんとか会までできてい

      る。立花附近に居る朝鮮人は、よく附近の田や畑にある野菜物を取って帰っ

      て喰うので、喧しくいうと『日本人は、朝鮮の国さえ取ったではないか。野

      菜位取るのがなんだ!』といっているそうだ。朝鮮でも食えず、支那へ行っ

      ても追われ、内地へ来て牛馬のように酷使されている朝鮮人は、八幡浜であ

      ったように、五〇円の金で殺人さえ決行するのだ。せっぱつまった鮮人の行

      方こそ真に憂慮すべき問題だ。」

 

 大衆時代 昭和3年9月1日付

      内鮮共存会が今治に生れた。「民族的迫害と支配階級の迫害の下に僅かに余

      命を保つ悲惨な朝鮮同胞の団結は、それは必然に優越民族に対する不平と支

      配階級の横暴に対する憤懣を蔵する。」「民族的迫害を受けている朝鮮同胞と

      しての正しい目的を確立」し今治一般労働者組合と共同闘争をせよ。

  

 愛媛新報 昭和3年9月15日付

      県道三内村線(注、温泉郡三内村)の道路工事は請負人が多大の欠損を出し

      賃金支払いで紛議。日本人30余名、朝鮮人20余名がいづれも一致して賃

      金支払いを要求。交渉がまとまらず傷害沙汰となったので、警察が取調べ。

 

 新労働党準備会1828・11・21達示

      特定支持団体として「在日本朝鮮労働総同盟」の名がある。

 

 大衆時代 昭和4年6月21日付

      今治一般労働組合準備会員が、今治内鮮共存会を批判。

      今、今治に在住する鮮人の数は170名。その過半数は失業者である。共存

      会長の友澤某らは資本家の回し者で、会の目的は常に失業群を確保してい        

      ざと言う場合に資本家に役立てることにある。自主的に組合いを造って闘争

      しなければ駄目。と言う趣旨。 

     

 

 

 愛媛新報 昭和4年10月12日付

      県下の50名以上の職工がいる各工場の9月中の職工移動状態 鮮人職工の

      異動は、解雇女工が1名。雇入れ女工が3名。9月現在男工21名。女工2

      1名。 

 

 愛媛新報 昭和4年10月5日付

      10月1日現在の松山市内の失業者数の中で鮮人は19名。

 

 愛媛新報 昭和4年11月10日付

      10月末現在の県下の失業者数の中で鮮人労働者男69名。

      女30名。

 

 愛媛新報 昭和5年1月29日付

      「社説」に「かの朝鮮においての各学校の騒擾事件について見るもその背後

       には必ず社会が潜んでおり主義者の糸がある。全鮮民の民族的運動と精神

       の示現がある訳で、これと同じに学生の思想善導につおいても常に社会の

       背景を考慮に置く必要がある。」という部分がある。

 

 愛媛新報 昭和5年2月14日付

      1月中の本県失業者のうちで、朝鮮人82名。

 

 愛媛新報 昭和5年2月3日付

      「朝鮮文字『諺文』が今回の総選挙には有効と決し、鮮人も清き一票の力を  

      示すこととなったが、、松山地方に随分沢山居るのであるが、彼等は住所を

      転々として安定する生活を為さぬ為に